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久しぶりに映画館で映画を見てきました。
『ゆれる』
色々な意味で心を揺さぶられる映画だった。
まだ、上映しているので、公式サイトはこちら。
http://www.yureru.com/top.html
見終わってからも何回も何回も考えた。
家族について。
思い出について。
人は、同じ思い出を共有しながらも、同じ思いを共有出来たりはしない。
ある人は忘れ、ある人は過去に、しかし、ある人は、現在もその思いを抱き続けているかもしれない。
同じ出来事でも、同じ人間でも、見る方向が違えば、見る時間が違えば、違うように見えたりもする。
そして、自分のことを自分がわかっているかと言えばそれも違う。
自分に向き合うと言うことはしんどいことだから、出来るだけ見ないように見ないようにしてしまう。
人は、見たい現実しか見えないものなのだろう。
見たくないものから目をそらしてしまうのだろう。
でも、どうしようもなく、目をそらすことも瞬きすることさえ出来ない時もある。
それでも自分を誤魔化し誤魔化し生きてしまう時もある。
考えたくない、自分を突き詰めたくはないと考えてしまうとき、明確な答えを指し示してほしいと思ってしまうのだが、監督は、最後まで答えを与えてはくれない。
きっと、答えはないのだろう。
この映画は、事件に直面した兄弟と、その家族の物語だ。
そして、また、見えないところで、事件に直面した娘とその家族の物語があるのだろう。

それから、この映画のBGMかっこよかった。
音楽の流れ方がかっこいいの。
エンディングも良かったな~。





作品のラストについて。私なりに考えた結論は。


私が感じたのは、おそらく、事実は、猛が証言した通りではなかったのかと言うこと。
過去の思い出が蘇えったとき、あのとき、躊躇なく手を差し伸べることが出来るのが兄ではなかったのかと。
差し伸べる手を、兄が自分が信じたい兄であることを、奪ったのは猛ではなかったのか。
なくしてしまった兄を取り戻したいと、切実に思った猛こそが、兄を兄でなくした本人だったのではないのかと言うことに、猛は、そのときまで目を伏せて見つめてこなかったのではないだろうか。
だから、取り戻しに最後に走るのだろう。
誰も、答えは教えてくれないけれど、今感じたのはそういこと。
時がたち、違う景色からこの作品を見るときがくればまた、違う結論が見えるのかもしれない。

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